あいうえおのチラシの裏

愛にうえた男の悲しい物語

明日のない日々を繰り返して

 「じゃあね」

 

 ガチャリと玄関の鍵が閉まる音がして、それは随分と長い間、僕の頭のなかでこだましていた。

 

 僕は一つ大きく息を吐いてから、彼女の部屋を背にして、エレベーターの方に向かった。全く、親の躾がなってないんだ。『鍵を閉める音を聞かれると相手の人が嫌な気分になるかもしれないでしょう? だから、少し経ってから音が聞こえないように鍵を閉めなさい』僕なんか子どもの頃から母親にそう言われてきたのに。やれやれ。エレベーターを待ちながら、誰に聞かせる訳でもなく独り言ちる。

 

 マンションの外に出ると、辺りは冷蔵庫の中なんじゃないかと思うくらい寒かった。驚くほど息が白かったので、マフラーを口元まで上げた。早朝の冬の街は暗闇が濃くて、まだまだ夜が我が物顔で居座っている。未だに街灯が照らされる朝四時の道を歩きながら駅に向かい、人もまばらな電車に乗った。

 外の暗闇とは対照的に、電車のなかは眩しいくらいの明るい光に照らされていた。イヤフォンを耳に突っ込んでから、軽く目を瞑った。頭を休めようと思ったけど、昨日話した彼女の声や触れ合った時の感触が頭のなかにチラついてしまう。打ち消すようにイヤフォンの音量を上げた。

 

 僕はもう彼女に連絡することはないのだ。

 

 

 彼女と出会ったのは数年前のクリスマスの夜だった。当時は特に恋人もいなかったので、安定のクリスマスストをしていたとき、先輩スト師が2対2で連れ出したとのことで、その席にお呼ばれした。

 始めて会った時の彼女の印象はあまり覚えていない。肌が白くて目が大きい、まあまあ可愛い感じの女の子が目の前にいるというくらいしか認識していなかった。

 僕が入って3対2で話をしたけれど、グループトークに終始していて、特に深い話をした訳でもなかった。皆で軽く一杯だけ飲んで、グループチャットを作って健全解散した(もちろん、僕らはその後もクリスマスストを続行したが)。その後、グループチャットから彼女の個別LINEに移行して、アポ取りをした。 冬休みでお互いスケジュールが空いていることもあり、1月2日の夜に飲むことになった。実家に帰省していた彼女がちょうど都内に帰ってくるところを落ち合って、一緒に飲んだ。

 

 都内で待ち合わせをして、改めて彼女をまじまじと見たが『あれ、意外と可愛くね?』と思うくらいには、好み値が高かった(たまにこういうことがある。逆もまたしかり)。半個室の居酒屋だったので、普通に飲んで居酒屋で軽くキスをした。それから、その場でなんて言ったのか全然覚えていないが、彼女の家に行くことになった。

 その時、僕は年末年始の疲れもあって、いつも以上に酔いがまわっていた。彼女の家の近くのスーパーで酒を買ってから、家でコタツに入りながらしばらく談笑していたことを覚えている。なんだかわからないけれど、彼女は少し警戒していたのか遠い距離に座りながら話をしていた。

 

 

 そして、気づいたら、すっかり部屋は暗くなっていた。

 

 あー、酔っぱらって完全に寝てしまった。腕時計を見ると深夜三時だった。いつのまにか、僕はベッドに横になっていて、彼女は傍にいて寝息を立てていた。でも、僕が目が覚めてモゾモゾとしていたら、彼女が眠っているところを起こしてしまったらしく、彼女も目を開けた。

俺「あー、起こしちゃった?ごめん」

女「んー、いいよ」

俺「俺いつから寝てた?」

女「缶ビール飲み終わったら眠いとか言って勝手にベッドの上で転がってた」

 ギラつきもせずに寝るとかやっちまったな、と心のなかで僕は後悔した。それから何とか挽回しようと、ひそひそ声で話をしながら、彼女にキスをしてギラついた。多少グダられたものの最終的にはセックスをした。それから、朝になって箱根駅伝なんか見て、またセックスをした。 ベッドに横になりながらテレビをみたり、昨日の買い物の残りものをつまんだりしていた。まるで、怠惰な大学生みたいな生活だった。二人でコタツに入りながら、取り留めのない話を延々とした。

 話は全然尽きることがなくて、二人で夕方までのんびりしていた。 僕はこういう時間が一番好きだ。もちろんセックスも好きなんだけど、セックスをし終わったあとに、落ち着いて色々な話をする時間はとても楽しい。

 彼女は半年ほど前に長く付き合ってた彼氏と別れて、今は色々な男と遊んだり言い寄られたりしていると言っていた。彼女に写真を色々と見せてもらったが、皆僕よりも若くてイケメンだったり、エリートばかりだった。やっぱり可愛い女の子は、良い男の持ち駒が多くて困る。

 

彼女の家から出る前に、

「きっと今日が今年のなかで一番楽しい日だと思う」そう言って僕は、冗談を飛ばした。

「まだ一年過ぎて三日しか経ってないのに、何言ってるんだか」そう言って彼女は笑っていた。でも、当時の一年間を振り返ってみればそれは当たっていたように思う。 その年はそれ以降、即っても特に深い関係になるような女の子はいなかった。おかげで、僕は箱根駅伝を見る度に彼女と彼女の家のことを思い出す。少し甘くて少し苦い思い出。

 

 そして、また一ヶ月後に彼女と会った。また彼女の家に行ってセックスをした。相変わらず彼女と一緒にいるのは楽しかったけれど、この時にはもう僕はすっかり彼女のことを好きになりかけていた。しかし、このまま彼女のことを好きになっても、単に非モテコミットするだけだ。僕は始発で帰るからと言って、彼女の家に泊まってから、始発の時間に出ていった。

 

 

 「じゃあね」

 

 彼女は寝ぼけまなこで、見送ってくれた。それが、彼女を見た最後の姿だった。そして、ガチャリと玄関の鍵が閉まる音。ドアは閉められて、もう開けられることはない。

 

 あの日以来、彼女に対して僕から連絡することもなければ、彼女から連絡が来ることもなかった。

 

  こんなことを繰り返していて、一体、僕は何をしているのだろうか。本当にわからなくなることがある。なりふり構わずに、彼女に付き合ってくれと言えばよかったのかもしれない。そうすれば、可愛い彼女と今でも楽しく過ごしていたかもしれない。非モテコミットするのが怖いとかいうのは単なる言い訳で、ただ本気になった時に拒絶されることが怖くて、そのための勇気がなかっただけなのかもしれない。

 

 この界隈は愛の地獄だ。でも、そうやって終わりのない地獄を勝手に作り出しているのは誰なんだろう? 他ならぬ俺自身なんじゃないか?  勝手に地獄とか思ってるけどそれはお前の受け取り方次第だろ? そう思うことがある。正解はわからないが、僕が最期、死ぬ瞬間に振り返ってみてわかるのだろうか。

 

 

 子どもの頃、友達と別れる時はいつも「また明日」と言って、手を振ってバイバイしていた。そんな言葉は、もう最近は全くと言っていいほど聞かなくなった。だからきっと、僕の知らないうちに、「明日」はどこかに消えてなくなってしまったんだと思う。終わりのない「今日」のなかで僕は「今日」もまた街に出続ける。